とりあえずここまで

今日はパステルを持ってないので、一旦帰ります。
絵も生きもの、‘鮮度が命’なので、目が死なないうちに仕上げます。






描いてて、いちばん難しくていちばん楽しくていちばん力が入って描きがいがあるところ。幾重にも色をのせていって、その作業の途中に企業秘密的な魔法をちょびっと入れます。
目がうまく描ければ、バチッと命が宿った感覚があれば、あとはだいたい大丈夫。上手く流れていく。

絶対に辛い想いをするとわかっていても、今回ばかりはどうしても目が離せなくて本を開いた。いつまでも目を逸らして逃げていてはいけないと思った。
私はもう、現実を直視してもショックで寝込むほど、弱くなかった。きっと、少しだけ強くなった。向かう準備が少しずつ整いつつある兆しだって思った。読み終わったあと、私は思わずその本を強く抱きしめていた。胸の内側ひだひだの奥、深い層に、その魂を落とし込むように。
今は無力な私にも、少しは救える手があるだろうか。100歳まで生きるとしても、あと70年しかないのに。本気で取り組もうとするなら、全人生を賭けた大仕事になる。
テレビでも雑誌でもこの問題が大きく取り上げられるようになってきたということは、人々の意識が変化してきているということだ。そこに希望を見出だしています。
‘近年、社会現象としてあげられる命に対するモラル低下に反し、不要になったペットの殺処分数は、全国的に減少の傾向にある。その背景には、各センターの職員や関係者が、さまざまなリスクを恐れず、不幸な動物たちを少しでも減らしたいと立ち上がったことがある。殺処分数の減少は、彼らの地道でたゆみない努力が身を結んだ結果だろう。そこで、僕たち一般市民に今、求められていることは、殺処分の実体を知り、事実を事実として受け止める勇気を持つことではないだろうか(本文より抜粋:写真家・大石成通さん)’
私の夢はでっかくて、大き過ぎて、その重さに耐えられなくて、すぐ潰れそうになる。でも、わかってもらえる人が周りに少しでもいてくれたら、頑張れる。
感受性の強過ぎる人にはかなりショッキングでしんどい内容の記事と写真です。痛みを分かち合う覚悟がある人には、勇気を持って読んでほしいです。
無力だなぁと、感じた日。今の自分では、ワンコ1匹さえ助けられないのだ。
ニュースを見て、そういう気持ちが湧き起こったときに、必ずぶち当たる矛盾の壁が、「食べなくては生きていけない」という自分。
この問題に関してはまだ、誰からも、納得出来る答えを得ていない。それに、まだまだ大きな声で語り合うことが憚られる社会だと思う。
私だったらどうか、という視点で一応の答えを出してみたことがある。
私だったら...「自分よりステキだな、自分より長く生きていてほしい、と思える人にだったら、美味しく食べてもらって、その人の栄養や活力、その食事のひと時でも笑顔の元になれるなら、この身を捧げて調理されてもいいかな」と思った(新聞読みながらとか、適当に食べられるのはやだなーとか...)。
今のところ食すことはあっても、食される危険がない人間として生まれたからには、食物を粗末に、いい加減に調理したり食べたり捨てたり、なるべくしないようにって、感謝してちゃんと味わって食べたいと思う。命をいただいた分だけ、ちゃんと「ああ、この人に食べてもらって良かった」と思ってもらえるような生命体として生きなくちゃ、と。
映画「コクーン」で、長年連れ添った愛する妻に、自分の命のエネルギーのすべてを注いで満足して亡くなっていったおじいさん。
ミュージカル「ミス・サイゴン」の歌‘命をあげよう’(愛する子どもへ捧ぐ歌。本田美奈子さんの熱唱は感動的でした)じゃないけど...、
やなせ先生にだったら、私の寿命を10年差し上げてもいいくらい(いらないよって言われちゃうかもしれないけどさ...)。
なんか、堅苦しい日記ですみません。


「ある日、おかあさんが小さなうさぎを呼びにいくと、小さなうさぎは泣いていました。」のシーン。
ああ、毎日、明日のことなど気にせずに、力尽きるまで寝ないで描いて、「これ以上は無理〜」ってとこでバタッと寝て、また起きて...、時々気分転換、みたいな生活が出来たらなぁ〜。
(ここからは、怖い話↓)
寝不足の第二段階をご存知ですか?目の下の隈を通り越して、目の周りが全体的に丸く赤黒く、ほんとにキョンシー(懐かしー)のようになります。
おやすみなさい。

一生懸命やってない自分が嫌いだから、頑張る。
気持ち的にダラッとしてくるといつも、
「いかん!このままじゃ‘ダラダラの神様’と仲良くなってしまうっ、私はそっち側には行きたくないんだ。これ以上緊張感の無い顔になりたくない!」と思ってガ〜ッと向かう(例え傍目にはダラッとのほほ〜んと見えても、頭の中はいつも、変な思考でフル回転だ。「バカな考え、休むに似たり」とも言うので、考え過ぎも、良くないんだけど)。
この前の日記で、‘優しくなくて弱いという状態は最悪’、と書いてしまいましたが(今思い返してもヒドいね..)、あれこれ考え抜いた末、ひとつの結論が出ました。
「強い」っていうことは、「力をふるう」ことじゃなくて、「力(パワー・エネルギー)がある」「力を持っている」ってことだから...そうか、「優しさ」っていうのもエネルギーの強弱なんだ!って。
「優」=「優れている」=「‘人を憂う’ことの出来る人」=「苦しみを分かち合う覚悟が出来てる人」ってことだから、すーごく強いエネルギーがないと、すぐに自分が参ってしまう。
これでもまだまだ考え足りないかもしれないけど、取りあえずここまで辿り着くのに、九割ぐらい文章を削りました(アンパンマンは強いようで結構病弱だから、弱ったときは気持ちはあっても助けられない、とか、バイキンマンは強くて優しくないがドキンちゃんには優しいとかどーのこーのとか)。
あー頭痛い。
(タイトルは歌麿風でお願いします)
りろりろ、ちゃりちゃりと鳴る水と、るるるうーって鳴く虫の声。川の流れに沿って、ギリギリギリギリ早歩きする。
目的地は無くって、何かを探して、見つからないかもしれないんだけど、見つかるかもしれないと探しながら歩くこと自体が目的というか、私にいちばん合ってる歩き方。そして、一度通過した道は、また歩こうという気にはあんまりなれないな。どんどん新しい道を歩いてゆきたい(ただし、ちゃんと帰ってこれる範囲まで。迷子になりそうなくらいまでの無茶はしないの。こういうとこは、冒険出来ない性格の表れねf^_^;)。
ときどき立ち止まったりしながら、風景を楽しみながらゆっくり歩いている人もいるし、周りの景色などお構いなしに、自分を鍛える為に、ひたすら走っている人もいる。
ひとそれぞれ、人生観が出るというか(あーなんかごくごく普通の日記ですね)。
歩くのはいいよー
緑と水にまみれてマイナスイオン出まくりよ。もう、自分が緑と同化して、茂っちゃいたい、藻っちゃいたいくらい。
(油断してると近くの茂みからいきなりカモが飛び立ってきて、「ぅうおっ!」ってなるので注意)
それは...30代になってから、自分の性格がキツくなってきたんじゃないかっていうこと。
でも、優しくて弱い人はダメだ、大切なものを守れない。
優しくて強い人にならなくては!
優しくなくて弱いっていう状態は...いちばん最悪だな(ほら、キツい)。
昨日の、ELLEGARDENが活動休止のニュース。
思っていた以上にショックが大きかったです。
実はものすごい心の支えというか、拠り所にしていたんだなぁ...。
そうでありながら、彼らの音楽から私がいつも感じとっていたメッセージは、‘自分を信じて、ちゃんと自分の足で立って生きてゆくことが大事だよ’というものだった。
いつも全力で走り続けている、ELLEGARDENの音楽に励まされて、その生き方に憧れて。
あんなに激しく燃えさかる炎のような、星が大爆発を起こしたときのような、超高熱の音波なのに、私はいつも彼らの音楽のなかに、抒情を感じていました。
大音量で聴きながら描いていると、自分のなかの暗いトンネルのような、ずっとずっと続く闇のなかに、あまりにも温かくて眩しくて優しい、キラキラと明滅する光の玉が、いくつもいくつも浮かんでは消える。この光の爆弾は、大粒の涙で出来ていると思いました。
新作とかよりも、またライブに行きたい(行った次の日からは、二日くらい寝なくても食べなくても平気なくらい元気になったの)。ああーいつでも行けると思っていた私が馬鹿だったわ...(>_<)。
活動再開を心から祈っています。
最近のコメント